木枯らしの吹きすさぶ町中を窮屈そうにトレンチコートに身を包んだ男が歩いていた
ふと足元に黒い小箱が落ちているのを見つけて拾い上げるとどうやらマッチ箱らしい
「これは運がいい。そろそろ一服でもしろとの神様からの思し召しだな」
トレンチコートの男はマッチ箱を手にそう独りごち、すぐ横の路地に入った
カラカラという音と共に黒いマッチ箱を取り出すと、中には三本のマッチが入っていた
男はおもむろに箱からマッチを一本取り出すと、煙草に火をつけた
用済みの黒く縮こまったマッチ棒を指で弾くと風に飛ばされどこかへと消えていった
「すみませんが、すこしよろしいですかな」
二、三ばかし吸ったところで声をかけられ胡乱気に振り返ると小太りの見知らぬ男が立っていた
「この辺りにマッチ箱を落としてしまったようで、見かけませんでしたか、黒いやつなんですが」
トレンチコートの男はポケットからマッチ箱を取り出すと小太りの男に差し出した
「これのことでしょうか」
「そうそう、これです。よかった親切な方に拾っていただいて、大事なものだったんです」
そういいながら小太りの男は自分のポケットを少しのあいだまさぐったあと舌打ちした
「おっと、今度は煙草をどこかに置いてきてしまったようだ、今日はなんとツイていない」
「それならどうぞ私のを一本差し上げましょう、ほら遠慮せずに、これも何かの縁です」
「これはありがたい、それではいただくとしましょう」
小太りの男は黒いマッチ箱からマッチを無造作に取り出して煙草に火をつけようとしたものの
運の無いことに風に吹き消されてたちまち二本とも駄目にしてしまった
トレンチコートの男は見るに見かねて自分の火を貸してやろうとコートの内ポケットに手をやった
さて火をやろうと小太りの男に目をやると驚いたことにすでに咥えた煙草からは紫煙が昇っていた
「三度目の正直とはよく言ったものですな、なんとか一服にありつけて今日はツイていたようだ」
「あれ、拾ったときにはマッチ箱には三本しか入ってなかったと思いましたが」
「ええ、三本入っておりましたとも。おや、顔色を悪くされてどうしましたかな」
「実はあなたが来る前にマッチを一本拝借したのです。ですから残りは二本だったはずで」
「そんな馬鹿な。数え間違えたのではないですか」
「いいや確かに三本でした。箱を調べさせてください、何か仕掛けがあるはずです」
「もう使ったマッチも風でどこかへ飛んでしまいましたし、そんなのどうでもいいではないですか」
「いや、でもですね、なんとか三本あったことを確かめたいのですよ」
「そんな悪魔の証明をするようなことはやめましょう、あなたも私も煙草を吸えていて幸運じゃないですか」
今がよければそれでいいんですよ、そんなどうでもいいことを気にする人はこの世にあなたくらいですな、と
小太りの男はそう笑い飛ばしながら煙草の灰と同じように人混みに溶けていった
その晩、男が帰宅するといつものように男の妻に出迎えられた
「あら貴方、どうしたのそんなに暗い顔をして」
「そろそろ引っ越そうか。どうやら私たちはこの世界ではどうでもいい存在らしい」
男はトレンチコートを脱ぎ、窮屈にしていた蝙蝠のような翼を伸ばしながらそう独りごちた。
コメント